予告を見て気になっていた『ソ満国境 15歳の夏』を鑑賞。



正月三箇日は仕事柄平日と変わらず、むしろ仕事内容が普段とは異なり、予想以上に疲労が蓄積されたようで、

年末に借りたDVDも返却を翌日に控えた前夜に無理をしてみるような形になった。。。



自分に観る暇がない為、両親に面白そうだと渡しておいたので、鑑賞前に両親からは


『お前が選んだ作品にしては珍しい。良い映画だった。』


と聞いていたので意地でも観なければと、仮眠をとって深夜に鑑賞。




ちなみに、現在午前1時。8時間後には働いている。。。






話が逸れた。






『ソ満国境 15歳の夏』



あらすじはというと


~東日本大震災から1年が経過し、未だ仮設住宅での生活や除染作業が行われている福島。

放送部に所属する中学生の敬介とその仲間たちの元に、中国の小さな村から取材依頼が届く。

15歳の夏、彼らは同じく、67年前に遠く離れた中国に存在した『異国で敗戦を経験した15歳の日本人』たちの跡を辿る旅に出る。




戦争当時、満州を領土としていた日本軍。
日本から移り住み、満州が故郷となっていた15歳の少年たち。


彼らは未だ続く戦火の中、食糧確保の為の農作業を強いられ、ソ連と満州の国境付近で勤労動員として働いていた。


いつも通り作業に従事していた彼らに撤退の命令が下る。
ソ連が中立を破棄し戦争に参加したためだ。


満州における故郷を目指し命からがら進む彼ら。



そんな中、耳にしたのは日本の敗戦。


ソ連に捕虜として捕まり、段々と衰弱していく中、突然の解放。

身体が弱りつつも歩を進める彼らは道中、小さな村にたどり着く。

ささやかな食糧と水を望む彼らを村人達は拒否するが、ただ1人村長だけが救いの手を差し伸べる。


そして、たった1日、15歳の彼らがその小さな村で一生忘れられない『本来、人間が持つぬくもり』に触れるのであった。~





なかなか魅力的な題材で、予告を見た時に絶対に観ようと思っていた本作品。



実際にそんな歴史があったという事実は、たぶんだが我々が知らないだけで、たくさんあるのであろう。


もちろん、優しさだけではなく、醜さも。


生き死にが関わる時代に受けた、今よりハードな時代での人の温もりは、我々の想像の範疇を超えるほど凄まじい印象だと思う。


ましてや、国を奪い領土としていたその土地でである。


その時代を生きていた訳でもないし、
歴史はいくらでも食い違いがあるから、何が正解かはわからない。

様々な側面を持つから一概には言えないが、
体験記として映像化や文章化するからには必ず伝えたい心があると思う。



ただ漠然とした戦争の醜さを描くのであれば労力はそこまで必要としないかもしれない、重要なのは人の優しさ。


苦しい時代に生き、国が違えど手を差し伸べてくれた慈しみの心がそこにはあったという事実。


反戦も重要だが、なによりも差し伸べあえる関係が1番必要なんだと思う。





作中に出てくる蝶の話。


小さい身体だが国を超えるほどの移動ができるその蝶は中国や日本にも生息している。

移動は出来るが、片道分の命ほどしかない。

次に故郷に戻る時は、死んで行った蝶たちの子孫が帰ってくると。



それは我々が長い歴史をかけて、何度となく、遠く離れた友人達と手を差し伸べあい、いつまでも続けていかなければいけない『大事な心』の関係に似ている。


作中、福島原発について描かれてはいるが、
それを戦時中の大人の責任と、原発を防げなかった大人たちの責任に似せている印象を持ったが、

豊かな生活をしている我々は、そのリスクをどこまで掘り下げていたのか、そういう意味では心が辛くなる印象を持った。





これからどうしていくか。


これがこの映画から、観ている全ての人間への問いかけだと思う。



俺は俺なりの見方しか出来ないが、もっとたくさんのことを描いていたのかもしれない。


原作小説はさらに熱量があると思う。

機会があれば読んでみたい、そう思わせられる映像化作品でした。


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